人生はPDCAサイクル。黒歴史を見つめ直そう。

お題「わたしの黒歴史」

 

人生って黒歴史の塗り重ねだよね。どうも織田です。

 

黒歴史。中学生のころの恥ずかしい行動や言動のことをよく言いますよね。

最近、黒歴史って一生あるんじゃないかと思い始めました。もしかしたら、35くらいで止まるのかもしれないけど。

 

思い返してみてください。3年前くらいの自分、5年前くらいの自分。

むっちゃくちゃ恥ずかしくないですか。何してんの俺。うわぁ、いったぁ~。みたいな。

 

例えば僕の場合、中学生の頃にあまりにもモテなさすぎてオンゲー仲間は彼女とプレイしててすげえ悔しくて...。

僕がとった行動は「彼女役」のキャラクターを自ら生成して、それをさも自分の彼女のように、一人二役してたことですかね。

すげえ恥ずかしいよねそれ。みっともないし、現実逃避してるだけ。虚しくなかったのかな当時の俺。

ネカマスキルが上がった僕は、数年後に友達とタッグを組んで、クラスメイトをネカマツイ垢で落として遊ぶっていうすげえクズなことをしでかすのですが。これも含めて黒歴史

 

まあこれは盛大な黒歴史なんですが、今でも黒歴史あります。いくらでも。

 

冒頭に戻りますが、少し前の自分。ここでは仮に18歳の頃の自分を今見返して思うこと。

この歳って、子供と大人の狭間なんですよね。今でも僕は子供なところがありますが、当時はもっと酷くて。

人に指摘されたことを言い訳ばかりして、逃げて、でも「俺は最強」みたいな感じで自分を大きく見せたがってたんです。いわゆるイキリ。だっせえよな。

ありもしない姿をハリボテで誤魔化しても、違う角度から見てしまえば薄っぺらい。そんな中身のない姿でイキっても本当の姿が透けて見えてしまう。

例えば、僕には最果テっていう自尊心がありました。でも僕は曲を作るのにほとんど関わってないし、何もしてないようなもの。なのに、実態を知らない人に「俺こんなことしてんだぜー。すげーだろー。」みたいな。

実態を知ってる岩山からしたら「お前なんもしてないやん」って話だし、偉そうに音楽のことを語ってもちゃんと知ってる人からすれば「いや、それはおかしいやろ」って。

今でこそ多少理論を勉強したために、当時の自分の言ってたことを思い返すと「いやいやいやいや、何言ってんの無茶苦茶じゃん。」みたいな。付け焼き刃の知識でイキっても、見る人から見ればただのなまくら。痛々しすぎる。

 

きっと、そんな感じの試行錯誤とか、自分の行動をあとから見返して、反省して、改善して、また見返して。

そんなPDCAサイクルを続けて、人って成長していくのかなぁって最近思い始めました。

PDCAサイクル

P(plan計画)→D(Do実行)→C(Check検証)→A(Act改善)→P...と、繰り返して改善していく事だったはず。

 

きっと、今の自分を25くらいになって見返すとすげえ面白いんだと思う。

最近それに気がついてからは数ヶ月前の自分から見返して、痛いところとか、よくないところは治して、改善して、また検証して、自分を磨いていくように心掛けてます。

特にSNSの使い方。

僕は一般的なTwitterの運用方法を知らなかったんです。奏者界隈、ネトゲ界隈で生きてきた人間なので、そこでの当たり前とか、みんなのTwitterの使い方に影響を受けてたんですよね。

 

ただ、すげえ言い方悪いですが奏者界隈、いやネット民ってイキリしかいないんですよ。全員自分を誇示したがる。演奏動画とか自己顕示欲の塊なので仕方ないんですが。

 

ただ、時折変に自分を誇示してたり、聞いてもないことをダラダラと語ってる、いわゆる隙あらば自分語りみたいな人って僕の周りに沢山いて、同時に僕も隙自語の癖があったんです。便所の落書きとはいいますが、うんこを公共の場でするのはどうなのかなって。

なんごに隙自語をすげえ指摘されて、やめろって言われ続けてたんですが、意味がよくわからなかったんです。

自分のTwitter見返してみたら、隙自語だけてした。

 

僕がメインのツイ垢を変えた理由は捻れたSNSの使い方の矯正があります。

その為に、鹿が角を押し付けあって押し問答してるような奏者界隈から足を洗って昔からの馴染みで、かつ演奏者界隈じゃない(例外もいる)人だけをフォローして再開しました。

 

ブログだけは現垢で続けてますが。

ブログこそ隙あらば自分語りなんですが、うんこはブログでしようかなって。俺の便所をみんな覗いてるわけです。やだ恥ずかしい。

多分このブログもというんこも、数年後に見たらくっせぇ〜笑ってなるんだろうな。

 

振り返りって大事ですね。みなさんも数年前のうんこを見てみたら、新しい発見があるんじゃないでしょうか。